TOEICの意味と意義

いつもどおりに勝手な思いつきと思い込みで書きますけど、少なくとも私の存じ上げている英語を堪能に喋れる人はTOEICなんて受験していないと思いますし、日常的に英会話を操る上で私はTOEIC試験の成績がどうのこうのは一切関係がないのですよね?

そんな事を普段から感じているのですが、本日の報道でTOEICの業務委託先が1億円超の所得隠しを指摘されていたとの事。

まぁ先の漢字能力検定を行っていた協会もそうですけど独占的な事業で競争相手も無く、しかも公共団体的な要素を持っていますと、どうもいい加減になってしまうように感じるのですが、それでもこの手の検定はなくならないのですよね?

この手の事については良く書くのですけど、英語検定に限ったことじゃなくて何か指標とか物さしがないと人の能力を判断出来ないので、検定なんてものが出てくるので有りますけどいつの間にかそれが一人歩き致しまして、検定の結果や合格実績が全てで例え能力が有ってもTOEIC試験の検定を受けていなければ認めませんよなんてのは本末転倒のような気がしませんか?

例えばね日本に在住していてTOEIC試験対策を頑張りまして検定に通った人と、そんなものは関係なしに単身アメリカにでも渡りまして、日本語を一切使わないでビジネスの現場で生の英語を操りましてメリケン国のビジネスマン相手に丁々発止を繰り広げてきた人とでは、英語力の差は歴然としているはずなんですけど、下手すると日本社会ではTOEICの検定に合格実績を持っている人のほうが高く評価されちゃいようなところが有るじゃないですか?

ま他の国はどうだか知りませんけど、どうも日本人の中には私は何とか検定1級合格者だとか、そんな尺度がないと自分をアピール出来ないような人が多いのかもしれませんけどね。

追伸

企業が人を採用する際に英語力を必要とする人を採用する際にTOEIC試験に何点以上とか採用基準を設ける場合が有りますけど、私が思うにそんなものは英語で面接をすればすぐに分かる話なのでありまして、よほどお役所体質なのか人事採用担当者の英会話能力が欠落しているのかどちらかだと思いますと書いたら書きすぎでしょうか?

まぁ他の企業の採用基準についてとやかく書くのもなんですけど、本来は日本人の英会話能力の普及を目指す為に作られた指標のようなものが絶対的な尺度に変質するのは個人的にはどうかなって感じているのですが、あなたは如何感じていますでしょうか?